『発酵 X クラウドファンディングで循環する資源・人・地域』

『発酵 X クラウドファンディングで循環する資源・人・地域』
 
 
☆今回のキーパーソン: 
■渡辺(酒井)里奈 株式会社ファーメンステーション 代表
国際基督教大学(ICU)卒業。富士銀行(現みずほ銀行)、ドイツ証券などに勤務。
発酵技術に興味を持ち、東京農業大学応用生物科学部醸造科学科に入学、09年3月卒業。同年、株式会社ファーメンステーション設立。研究テーマは地産地消型バイオエタノール製造、未利用資源の有効活用技術の開発。好きな微生物は、麹菌。好きな発酵飲料は、ビール。東京都出身。
    
◇取材協力: きびだんご株式会社
   
   
ファーメンステーションの期間限定ショップの様子(2017年6/1~7東急百貨店 渋谷本店で開催)。洗練されたデザインが目を引きます。
石けんはふわっと日本酒のような香り、スプレーはさわやかなレモングラス、ボディミルクはやさしい桃の香りがしました。
  
   
   
―――今回はインタビューをお引き受けいただきありがとうございます
今ファーメンステーションとしてやっている事業は、もともと自治体の事業だったものが民営化したという意味では珍しいと思っています。そのあたりをお伝えできるといいなと思います。
   
   
①発酵との出会い・奥州市との出会い
   
―――もともとは金融業界にいらっしゃったんですね
私は1995年に銀行に入って、1997~99年の間は国際交流基金に出向して日米センターというところでNPO交流の仕事をしていました。ちょうどNPO法(特定非営利活動促進法)ができて、日本のNPOセクターを盛り上げようという時期でしたね。東北の震災後にも底上げがあったと思いますが、当時は阪神・淡路大震災の直後で第一次底上げのような時期だったと思います。アメリカに学べることがあるということで、日米交流のお手伝いのような仕事をしていました。そのときに、社会問題を解決するのは政府ではなく民間の力だという考え方を知って、すごく興味を持ちました。
   
   
 酒井里奈さん
   
   
―――それで新しい道に進もうと?
いえ、すぐにそうなったわけではなくて。銀行をやめることも考えましたが、まわりの人からは、何にもできない人がいきなりNPOセクターにきても迷惑だから、せっかく銀行にいるんだからちゃんとスキルを身につけて機会があったら戻ればいいと言われて。確かにそうだなと思って、銀行に戻ってからはプロジェクトファイナンスの部門でエネルギー関連の事業を担当していました。
仕事は本当におもしろかったし、やっぱり自分は甘かったなとも思いました。でもやっぱり環境問題には興味があって、私が当時関わっていたのは鉄道とか石油化学のプロジェクトでしたが、ヨーロッパでは地球温暖化対策で風力発電や地熱発電が始まっていて、代替エネルギーをやってみたいという思いはありました。でもまだ日本では時期が早くて。
その後銀行をやめてベンチャー企業に入ったんですが、当時は外資系のファンドが入ってきたりしていた時期で、しっかりビジネスをやろうと思いM&Aを担当したりしていました。それからドイツ証券に転職して、10年間は金融業界にいました。
   
―――金融から発酵への転身は、どんなきっかけが?
環境にずっと興味は持っていて、ただ、やみくもに仕事をやめるべきではないとも思っていて。そうしたらある日、NHKで東京農業大学の先生が、生ごみをバイオエタノールにする技術があると言っているのを見て、おお!と思ってすぐに調べました。当時は家にインターネットがなかったので外に行ってネットで調べたり、本を買って読んだりしました。そうしたら、これならできるかもしれないと。すごく難しい細胞の話とかではないし、お酒作りの延長にエネルギー作りがあるというのがすごく面白いと思いました。
それで衝動的に東京農大を受けたというのが発酵との出会いです。実際に大学に入ってみるとちゃんとした生物科学で、「あれ?」という感じではあったんですが(笑)。
   
―――大学で本格的に発酵の研究をされたんですね
そうですね。未利用資源のエタノール化を勉強したいということで農大に入って、4年間通いました。ゼミは3年生にならないと始まらないんですが、先生のところに通っておもしろい話はないですかと聞いたり、環境のコンサルティング会社でアルバイトもしていました。その頃ちょうど「バイオマスタウン構想」というのが全盛期で、国の政策として日本中をバイオマスを活用する町にということで、各自治体で「バイオマスタウン構想」を定めましょうと。それに対して補助金も出ていたので、いろいろな自治体からコンサルティング会社に調査の依頼があったと思います。
   
そうやって私が農大で学生生活を送っていた頃、一方奥州市では、という別のストーリーがあって。それで「運命的な出会い」を果たすことになります。
   
―――奥州市のストーリーというのは?
岩手の胆沢という地区は、2006年に合併して奥州市になる前は胆沢町という町だったんですが、町長と自治体の職員の方が自分たちで行動する町で、町長主催で「明日の胆沢の農業を語る会」という若手の農家さんを集めた勉強会を作ったりしていたそうです。1999年に「胆沢農業者アカデミー」というのが始まって、東北大学の先生を呼んだり、いろいろな勉強会をしていました。そこから例えば地産地消の農家レストランをやりたいというのが実現して、今も続いています。
そこで米農家の組合のある組合長さんが「アメリカではとうもろこし、ブラジルではさとうきびからエネルギーを作っていて、なんで日本でお米でできないのか!」と。そこからすごいのはアメリカのミネソタまで視察に行っているし、ミネソタの関係者を胆沢に呼んで国際会議もやっているんです。
そうやって視察や勉強会を続けて、そろそろ自分たちでも何かやりたいとなって、役場の人がいろいろなところに連絡したそうです。それで東京農大の私がいた研究室がいいよということになって、共同研究が始まりました。私が4年生ごろのことだと思います。
   
―――まずは研究室と奥州市との共同研究からだったんですね
そうですね。初めのうちは胆沢からお米を送ってもらって、研究室のラボで実験していまいした。でも研究室でやっているだけでは地元の皆さんはつまらないし、何かやりたいということになって。2010年ごろ、当時は民主党政権だったんですが「緑の分権改革」と言って自治体への補助金がありました。ほとんどの自治体はそれでコンサルティング会社に調査を依頼したと思いますが、奥州市がすごいのは、普通なら報告書を作ってもらったら終わってしまうような予算なのに、やっちゃえ!で実証実験を始めてしまったんです。

私がファーメンステーションを設立したのは東京農大を卒業してすぐです。2009年7月に会社を立ち上げて、2010年4月に奥州市から実証実験のお手伝いやコンサルティングということで、3年間の事業を受託しました。『米からエタノールとエサを作る地域循環プロジェクト』です。会社として最初のお客様が奥州市になります。そのために会社を作ったというわけではないのですが、それに近いかもしれませんね。
   
   
②今につながる本気のプロジェクト
   
―――『米からエタノールとエサを作る地域循環プロジェクト』ではどんなことを?
まず米からエタノールを作るというのは、米を栽培して、それを破砕して、お釜に入れてブクブクと発酵させて、それに熱をかけて濃度を上げ、丁寧に蒸留して抽出する、という工程になります。そうすると、「米もろみ粕」と言うんですが粕が残って、これが鶏のエサになります。お米からエタノールとエサができて、エタノールは燃焼させ、粕はエサにして地域で循環させようという事業です。
大きく言えば地球温暖化対策やエネルギーの自給のためですが、行政としては、米農家の新たな収入源の確保、エサの自給、地域の産業を作るというのが目的でした。最初から米からエタノールだけではなく、エサも作ろうと考えた自治体の方はすごいと思います。
背景にある社会問題は、これは全国的にも同じ数字なんですが、奥州市の田んぼの3分の1は休耕田または耕作放棄地、転作田であることと、農家の新たな収入源を確保しなければならないことです。米の代わりに大豆・小麦を育てると言っても、栽培方法も機械も違うのでそんなに簡単ではありません。やっぱり米農家さんは米を育てたいし、新規事業を作れば雇用も生まれるかもしれない。それがこのプロジェクトの発想です。
   
―――具体的にはどんな実験を?
実証実験は、①農家が非食用米を栽培する(最終的には無農薬で栽培する)②米からアルコールを作る③粕を鶏にあげて大丈夫かどうか・それにどんな効果があるかを検証する、というふうに分かれていました。
いろいろな方に助けてもらいながら3年間役場の方たちと進めたんですが、たぶんこんなに一生懸命やる実証実験は国内にほとんどないと思います。粕のエサをあげる/あげないで鶏を200羽・200羽を確保して、毎日たまごの数を確認したり、割って白身の観察をしたり。役場の方は機械も動かせるようになったのでエタノールの製造もできます。
私は東京から毎週通っていたんですが、電話は毎日しました。初めの頃は清掃をお願いしていた人から「ヤバイです、臭いです、うまく発酵してない感じです」と言われて、行ってみると「こんなに掃除をしてなかったらダメですー」という状態だったり。本当に大変でした。
   
―――いわゆるコンサルティングも?
そうです。米を作り、米からエサとエタノールを作る、こういうことをしたら何が起きるかというビジネス的・社会的側面のコンサルですね。
最終的にはものすごく気合の入った報告書を作りました。もともと金融にいてキャッシュフローのことはわかっていましたし、事業計画も作ることができる。こういうやり方をしたらコストはいくらという製造コストや、エタノールはこういうところに売れそうだという販路の確保、燃料としては厳しいかもしれないけれど化粧品の原料はいいかもしれないという商品開発、それから、化粧品原料の市場は今こういう状態だからこういうところに売っていけるんじゃないかという分析も書きました。
たまたまこの間、うちの子どもが裏紙にお絵かきをしていて当時の報告書の草案が出できたんですが、「なんて先見の明!」と思いました(笑)。商品を作るだけでなくて、商品を作ることで人の移動が起きるでしょうとか、内と外の交流が起きるでしょうとか書かれていて、それは本当に今自分がやっていることなので、我ながらいいものを書いたなと。
   
―――予言書になっているんですね!
そうなんです。それから、報告書を作るときにこの事業の社会的側面や社会に与える役割という『出口の高付加価値化』の調査をしたんですが、一部を外注ということで企業のCSRに詳しい友人にお願いしました。それで作ってくれた報告の中に、彼らが知り合いの作家さんに頼んでこのプロジェクトのビジョンを絵にしてくれたものがあって、それが本当に素晴らしくて。
   
   
   
   
遠くから人が来て地元の人がその良さに気づくという意味の漢詩をモチーフにして、山から川が流れて、胆沢の散居の景色があって、お米があり、南部鉄器があり、お米を発酵させてエタノールになり、川は流れながら最終的に化粧品や商品になって、商品が都会に行きながら、人の交流があって、真ん中にはレストランや人が集まるところがあって、地元の人も行き来する、という絵です。
いま奥州にはツアーで人が来始めていて、これが本当に実現していると思います。
   
―――プロジェクト後のことは、当時はどう考えられていたんですか?
私も役場の人も、いつか実証実験は終わるので、そのあとは地域でNPOなどを作って引き継いでくれるものと思っていました。地域に雇用をという目的があったので、地元の会社が引き継がなければ意味がないと思っていました。自分がやるつもりは全くなくて、コンサルという立場から報告書を書いていました。
でも実証事業がもうすぐ終わるとなったときに、地元でもすごく盛り上がっているけれど、あとを引き継いでくれる人がいないとなって。お米からできたエタノールは化粧品の原料にしていける、そのチャンスが私には見えていたので、すごく残念だなと思っていました。それで家族にもったいないと言っていたら、自分やればいいじゃんと言われて。そういう選択肢もあるのかと。それから役場の人と何回か話す中で、OKをいただき、やれるかもしれないと思うようになりました。
   
―――始めた事業をどう継続させるか。いろいろなところで起きている問題かもしれません
そうですね。私は“バイオエタノールオタク”だったので、学生の頃にはバイオエタノールとついた記事は全部読んでいるし、現場もほとんど見に行っていますが、おそらく今もエタノールを製造しているところは少ないのではないかと思います。せっかく補助金を使って実証事業をやっても、コミットしている事業者がいないというのが問題かもしれません。お金をくれるんだったらやってもいい、お金がもらえなくなったらやめてしまうという。さらにそういう場合に不幸なのは、使っていない装置が置きっぱなしになっていることです。地方をまわるとバイオマスタウン構想だよねこれ、というのがけっこう残っていて、そういう事業の場合は価格競争力も働いていないのでいい装置にもなっていません。
たくさんの自治体がバイオマスタウン構想を作って、でもほとんど終わってしまっている中で、奥州市で何らかの形で続いているのはすごいことだと思います。振り返ってみると私の場合には、この実証事業の3年間でR&D(研究開発)ができて、事業の素地を作って引き継ぐことができた。これは本当にラッキーだったと思います。
   
   
③ストーリーを伝えられる場所
   
―――奥州市から事業を引き継いで、商品化のためにクラウドファンディングに挑戦されたのかと思いましたが、最初はツアーをされていますね
   
   
   
   
そうです。2010年の4月に奥州市から事業を引き継いで、スプレーなどの商品を作り始めて少しずつ売っていたら、メディアにもパラパラと取り上げてもらうようになりました。友達にもこんなことをやっているんだと話したり、展示会に出てバイヤーさんに説明したりしていると、行きたい、見たい、やってみたいという人がたくさんいて。そうやって初めは個人的に100人以上呼んだと思います。本当にいろいろな人が来てくれて、それに合わせて私も出張していたんですが、交通費のこともあるし、農家さんに会ってもらったり、いろいろな方を巻き込んでいくのは楽しいけれど大変だなと感じていて。
それで地元のみんなと「マイムマイム奥州」という団体を作りました。外から人を迎えるために作った団体です。そうしたらこれがすごく稼働し始めて、マイムマイム奥州がやっていることを紹介したくて、きびだんごさんで募集させてもらうことなりました。
   
―――ツアーの手ごたえは?
このときは来たいと言ってくれていた方たちで定員になったんですが、結果的にきびだんごさんでやらせてもらってすごく良かったと思っています。私がクラウドファンディングをやっていて良かったと思うことのひとつは、情報が残ることです。Web上にきれいなページとして残って、これを見てもらえば私たちの活動がどんなものなのかがわかってもらえる。今でも、私たちのツアーはこれですと言って見てもらえるので大成功でした。
マイムマイム奥州では継続的に年に数回のペースでツアーをやっていて、南部鉄器でご飯を炊いたり、地元の人向けのワークショップも開いているし、この夏には企業と組んだイベントも計画しています。
スタッフも少ないので実はかなり大変ですが、でもこれは使命というか、やらなくてはいけないことだと思っているので、基本的に来たいと言ってくれる人は断らないようにしています。自治体の視察も多いですし、ソーシャルビジネスの勉強会として見に来てくれたり。フィールドとして見ていただけるのはすごくうれしいことだと思っています。地域でお金が回るようにもしていきたいですね。
それから外国の方向けにも始めていて、去年はアメリカから30人のホームステイを受け入れて、来年の4月にはイスラエルから30人来てくれることになっています。単純にいろいろな国の人が奥州に来ると面白いと思うし、多様性を持ってきたいんです。
   
―――2回目は虫除けスプレー、3回目はボディミルクで挑戦されていますね
私にとってクラウドファンディングの良さは、ストーリーを伝えられることです。それがすごく大きい。
   
   
   
   
   
   
うちの商品は言いたいことがありすぎるので、店頭では伝えきれないし、ちょっとうざいですよね(笑)。でもどこかでちゃんと伝えたいと思っていて。みんながそういうストーリーをわかってくれなくてもいいけれど、誰かには伝えたいんです。面白いことをやっているのでそれを知ってほしい。クラウドファンディングの場合、支援しないかもしれないけれどストーリーを読んでもらえる。これはすごいことだと思います。
   
あとはやっぱりクラウドファンディングは予約販売に近いので、最初にお金が入るというのはありがたいです。支援してくださった方には、ノリでポチっとクリックしたけれど次はいらないや、とならないようにと思っています。
最近、きびだんごさんはショッピングもできるようになっていて、支援してくれたサポーター向けに限定価格ということで、少しだけ安くしています。うちは商品のディスカウントは一切やらないんですが、きびだんごさんでだけは特別価格にして、実際に商品として世の中に出て売り始めたときにもその御恩を忘れないというか、ありがとうございましたという気持ちを込めています。
   
   
④デザイン・縁・由来が詰まった商品
   
―――どの商品もとにかくデザインが素敵です。どんなこだわりが?
友人に戸村亜紀というすごく実績のある素晴らしいクリエーターがいて、商品化するときにクリエイティブディレクターをお願いしました。
   
   

   
   
最初はもう少し違ったデザインで、漢字で奥州サボンと入れてもらったり、ナチュラル系というか、無農薬や休耕田というのも書いていました。でも、そういうフレーズだけで商品が取り上げられるのがもったいないというのが彼女の意見でした。地方とか休耕田とか、そういうことに興味がない人だっていいものだから使うべきだと。
たしかに地域ブランドと言っても、それだけでは買ってもらえないし、市場はそんなに大きくはありません。続けて買ってもらえるかどうか、そこは完全に商品力で、見た目のデザインも重要です。使っていない田んぼのお米だからと言ってボディミルクを買う人はほとんどいませんが、このボディミルクすごくいいけれど、実は使ってない田んぼのお米らしいよ、実は奥州らしいよ、のほうがいいかなと。
入り口は何でもよくて、まずはできるだけいろいろな人に手に取ってもらいたい。男性にも使ってもらえるように、少しずつデザインも進化しています。虫除けに見えなかったり、消臭しているというのがバレないように、というのもうちの特徴です。
実はファーメンステーションはバイオマス事業部とクリエイティブ事業部があって、クリエイティブ事業部は彼女が担当しています。私がしてもらったことを人にもしてあげたくて。
   
―――ひとつひとつの商品はどんなきっかけで生まれているんですか?
普通の化粧品メーカーだったらこれを作ろうと言って作るのかもしれませんが、うちの場合は原料ありきだったり、その場の“流れ”だったり、ですね。
   
石けんは市の実証実験のときに作りました。お米を発酵させたときの米もろみ粕の美容成分も実証実験時代に調べていて、その予算を確保した役場の方は本当にすごいと思います。
   
   
 奥州サボン
   
   
実験の1年目に、化粧品メーカーをさんざん回って調べてくれるところを探して、ヒアルロン酸保持効果、抗酸化作用、抗老化作用があるとことがわかかりました。それでこれはいい、化粧品を作ろうと。メーカーさんからは美容クリームも勧められましたが、市民の方に幅広く使ってもらえるものにということで、石けんになりました。
洗顔石けんとして1000個を配って700人くらいからアンケートが回収できたんですが、そのフィードバックの結果がすごく良かった。メーカーで美容家電を担当している友人からは、ありえないアンケートの回収率だと言われました。
   
消臭スプレーは、普通に売られているものはニオイが苦手という方はけっこういて、無添加の消臭スプレーを作りたいねというところからです。
   
   
 お米でできた消臭スプレー コメッシュ
   
   
エタノールと水と菌でできています。匂いのもとを分解する酵素を持っている菌がいるんですが、化学的なものしかないと言われて天然由来のものを探していたら、たまたま高校の同級生の実家で作っていて。これも本当にご縁ですね。
   
   
 お米でできたアウトドアスプレー
   
   
虫除けは、ちょうどデング熱のときに代々木公園の隣の会場で展示会があって、エタノールから虫除けが作れるので、こんなの作れますよというサンプルで置いていたらそれが好評で。たまたまその日の展示会にきびだんごの方が来ていて、さらに私が以前から会いたかった化粧品メーカーの方を、「会いたいって言ってるよ」と言って連れてきてくれたんです。そこでいいですね、うちで作れますよと言ってくれて。こんなに一気に作ってくれる人と資金調達を助けてくれる人が集まったんだったらやるしかないと。
アロマを使った虫除けは精油の香り成分が大事になるんですが、市販のものは由来がわからなくてイヤだなと思っていて、そうしたらこれもたまたまなんですが、同じ展示会でネパールで作った精油を紹介している方に出会って、それを使わせてもらうことになりました。うちは由来を売る会社でもあると思っています。
   
―――ボディミルクの桃とはどんな出会いが?
たまたまご縁があって復興支援として福島の桃農家さんと仕事をしているという方に会い、きっと桃からエタノールができますよというお話をしたら、じゃあ送ろうか、送ってくださいということになって。
   
   
 お米と桃のボディミルク ピーチカーネル
   
   
当時、復興庁の震災復興策でハンズオン支援というのがあって、桃で商品を作れるんだったら、補助金ではないけれど支援できますよと言っていただきました。それで復興庁が採用したコンサルティング会社の女性が手伝ってくれることになったんですが、彼女がすごくがんばってくれて、商品化しましょうと。
最初は桃の果肉からエタノールを作ったんですが、少ししか作れないので商品化は難しいねと。それで種がたまたま余っていたのをアルコールにつけてみたら、いい香りのエキスになって。これを使って何か作ろうということになりました。化粧品メーカーさんに相談すると、桃だからお尻クリームというアイデアもあったんですが(笑)、ボディミルクにしようということになりました。
   
―――次に向けてのアイデアはありますか? 
はい、あります。これからも新商品を作るときは、きびだんごさんにご相談できたらなと思っています。
きびだんごさんのすごいところは、本当に手取り足取りなんです。サポート体制がすごい。ページを作るときにはしっかりとチェックが入るので、最初のツアーのときは大変でした。全部書き直し、これだと伝わらないよと。だんだん慣れてきたので、今はきびだんごさんに出すかもしれないと思って写真を撮っています。
以前、民放のテレビに出演することになったときも、気をつけないとアクセスが集中してサーバーが落ちるかもしれないよと教えてくれたり、ネットに詳しい方が相談に乗ってくれたり。代表の松崎良太さんのことも私はすごく信頼していて、最終的には松崎さんが見てくれていると思うと、すごいメンターがいるという安心感が常にあります。普段からこんな面白いことがあるよと情報もくださるし、今年のエイプリルフールの企画にも声をかけていただいて。嘘のレベルをもっと高くしてくださいと言われました(笑)。
ほかのきびだんごさんの参加者との横のつながりもあって、今度、有機の梅干しに挑戦している方が和歌山から岩手に来てくれることになっています。お互いにプロジェクトオーナーとして気になっていて、一緒に何かできたらいいねと。これは100パーセント、きびだんごさんのご縁です。
   
   
―――終わりに。大切にしている言葉を教えてください
私がいつも泊めていただいている岩手の農家さんに教えてもらった詩です。
私は岩手の人からしたら風の人で、岩手の人は土の人。そう言われて、それぞれの役目ってあるなと。
こんな「風」でいたいなと思いながら、岩手に通っています。
   
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風は 遠くから理想を含んでやってくるもの
土は そこにあった生命を生み出して育むもの
   
君 風性の人ならば 土を求めて吹く風になれ
君が土性の人ならば 風を呼びこむ土になれ
   
土は風の軽さを嗤い
風は土の重さを蔑む
愚かなことだ
   
風は軽く涼やかに
土は重く温かく
和して文化を生むものを
   
玉井袈裟男 「風土舎設立宣言」より
・・・・・
   
発酵の力、クラウドファンディングの力を信じて新しい風を起こし続ける酒井里奈さん。
これからどんな展開があるのか楽しみです。
ご協力、ありがとうございました。
   
   
   
   
<本インタビューに登場するプロジェクト等についてのお問い合わせ>
◆ファーメンステーション info@fermenstation.jp
◆Kibidango(きびだんご)https://kibidango.com/inquiry
   
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新経済連盟事務局 地方創生PT担当 Email: info@jane.or.jp
   
   
   
   
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